vol.1 クールビズについての一考察
今年の夏の大きな話題に、地球温暖化対策のひとつとして夏の男の服装に革命を起こした「クールビズ」がある。ネクタイをはずしただけの無粋な国会議員がテレビ画面を横切ったかと思えば、不人気だった某自民党役員が、ピンクのシャツと明るめのベージュのジャケットを組み合わせ、意外とセンスがあるのねと主婦層の好感を得たりと、本来と違った政治のテレビ観戦も楽しいものであった。
10年ほど前も、省エネルックと称して当時の羽田首相が率先して半そでジャケットをまとってお出ましになったこともあった。しかし、これから猛獣狩りですか、と茶々を入れたくなるそのファッション感覚はとても衆人の興を買うまでのものではなかった。記憶の彼方には故大平首相のころもそんなことがあったような・・。
ともかく、夏の男の服装を身軽に涼しくというのは日本の悲願であったようだ。
官主導の省エネルックが今まで失敗してきたのに、今年は一転大成功したのはなぜだろう。
いくつかの要因があったと思うが、いちばん大きいのはキャッチフレーズとなった「クールビズ」という言葉にあったのではないか。
つまり、「省エネルック」などという機能のみを表す言葉ではなかったこと。「省エネルック」は一言で分かりやすく、ストレートで現実的だ。でもそこに、じゃあ自分も追随したいという魅力は欠けていた。合理主義と正義感だけでは大衆を動かせない。
その点クールビズは一言では、はっきりわからない曖昧な部分を持つ。地球温暖化対策という人類単位の高邁な使命を背負っているのに、やわらかいオブラートで包みなにやらカッコいい響きさえある。
俺にもクールビズ一つくれ!
と店で言ったオヤジがいたとかいないとか。自分が口にし易く、好感を持っている言葉を相手から投げられた場合、つまり、ネクタイをはずしシャツに気を使って出社して最初に「おっクールビズだね!」と声をかけられたとき、気分は悪いわけがない。
そのとき、「クールビズ」という言葉の持つ共通のイメージなりかもし出す気分というものがあり、それがとても良いものであったということなのだろう。
よく言葉だけが一人歩きしてしまったと言うと、実態は伴わなかったということだが、今回は言葉がどんどん先に行ってくれたおかげで、結果を引っ張ってくれた。
えてして大ヒットというのはそういうものなのかもしれない。
今回のクールビズ。オフィスの設定温度を2度上げるためというある意味無機的な目的のために、ファッションというエモーショナルな部分が変化したというわけであるが、やはり男の服装というのは昔の軍服に例をとるまでもなく、機能から出発するという感をおおいに強くしている。
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