vol.3 人生の一回性(VOL2)
人の幸せって何だろう?
自分の幸せって何だろう?
それは自分の人生は何かという根元的な意味づけに繋がっていき、一瞬一瞬の生き方に現されていくものと思う。
将来に対する漠たる不安や意味のない楽観、根拠のない悲観に覆われていた20歳前後の自分にとって、人生は映画スクリーンに映し出される光景のように、薄っぺらい予測可能な「誰にでもある人生」であった。それはすなわちあの頃の井上陽水の歌にあったように、「年老いた父」の横顔は皺が深く刻まれ、労働と家族と社会の中で疲弊し虚しくいたずらに年を重ね、「人生が二度あれば・・・」と若き「自分」に思わせるがごとき、「誰にでもある人生」であったのだ。
社会に出たことのない学生である自分にとって、会社員になることとか、何らかの職業について一生懸命ものを売ったり、作ったり、交渉したりすることは、文字通り二度とない人生に足を踏み出し、引き返すことのない悔悟の道を歩き出す「年老いた父」への一歩としか見えなかった。大学生時代にトラック運転手のアルバイトをしていたが、所詮小さな子供がもらうお駄賃感覚でしかなく、だからこそそのアルバイト先で知り合った働きながら夜間高校に通う若者に対しては、恐怖に近い畏怖と自分に対する言いようのないいらだちとに包まれたりもした。
当時の自分にとって、人生は見渡せる範囲での平野でしかなかったのだ。
しかし、50歳を過ぎた今、改めて思う。
そんな単純なものじゃない、と。
色々な経験をすればするほど人生はやっぱり素晴らしく、生きていく意味は豊潤で深いのだ、と。
税理士という私の今の仕事に至るまでに、私は様々な仕事をし、たくさんの人と出会ってきた。そしてすべてと言っていい人たちが、一元的だった私の視界を徐々に開き、明瞭にし、私の人生に感動と新鮮と喜びを与えてくれた。このことは若かったあのころの私には、知り得ない「未来」であった。
「俺はいつか死ぬのだ」「人生は一回しかないのだ」という強烈な飢餓感は、ある時期になるとおそらく誰でもが持つ感覚だろう。そしてその時にこそ、「自分はどう生きるんだ」「自分の幸せは何だ」と問いかけ、生きることの意味を考える本当の自身との対峙が始まるのだと思う。それは大上段に構えた若かった頃の「人生」ではなく、日々少しずつ積み重ねていく「人生」への脱皮であるとも言える。
今こうして思うのは、誰かの役に立ちたい、誰かの人生に関わって生きたい、そのことを通じて自分に明確な存在意義を与えたいという想いが、社会人としての幸せ、喜びに繋がっていくということだ。
仕事を通じて自己実現をはかること、愛する者と結婚し、生涯にわたり信頼しあうこと、そして無償の愛情の対象である家族を持つこと。
当たり前の「幸せ」が何物にも代え難い大切なものであることを痛感するのである。
一回しかない人生がいつ終わりを迎えるかは誰もわからない。
だからこそ自分と家族の幸せを大事にしながら、好きなように生きて行きたい。
周りの人たちにも幸せになって欲しい。
毎日を一生懸命かつ楽しく生きたい。
そのことが「私」が存在した大きな意味になると信じている。
人生の意味は自分で作るのである。
筑西市乙922番地 第5光伸ビル3階
佐藤会計事務所
所長・税理士 佐藤典哉
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