vol.2 人生の一回性について
一回性としての人生をいつ頃から強く意識するようになっただろうか。以前から漫然と「今を生きる」という言葉を用い、曖昧にそのように「生きている」のではないだろうかと自認することはあったのだけれど、50年という月日を過ごしてきた今、すでに人生の峠はとっくに越えている現実を、鏡に映る自分の姿に突きつけられたりするうちに、そういった漫然さや曖昧さを見過ごしに出来ない思いに駆られるようになったのだと思う。
そうなるまでには単純ではない様々な苦味が去来する出来事があった。日本経済が不況の中での仕事のことや、子供達の現在と将来のことなど、それはつまり、いつまでたっても得られない生活や心の安定に対応して、大切にしてきたはずの価値観やモラルがぶれにぶれつづけている自分への情けない思いが積み重なった結果だと言えるのではないだろうか。
私のように表現することを仕事とした人間にとって、ぶれてはならない軸というものが確かに存在する。それは端的に言えば「命に勝る価値」を知ることであり、もしそのことを忘却するならば、作品は流行の中に埋没するか、単なる商品として消費されるだけのモノに成り果てるのだと思っている。
しかし、現実には流行や商品は大体思惑通りに経済に直結する。
ある作家が「止むにやまれず」作り出した作品はゴッホの例を引くまでもなく、その時代に受け入れられる確率は低いものだ。ましてや現代のように、パトロンとなるような華族や財界の大立者はとうに退場し、保守的な一般市民が購買層として圧倒的な時代である。自己の表現ということよりも、それら購買層に受け入れてもらいやすいものを作るほうが生活は安定すると考える作り手が多くなるのも頷けるというものだ。
そういう大きな時代のうねりの中で、「しかし」と私の心は言う。
「人生は一回こっきりではないか。物を作る上で、自分ではない他者の意向と妥協に妥協を重ねて、たとえ生活が安定したとして、自分はそのように終えていく人生に後悔しないでいられるだろうか。」と。
確かに人生は一回性としてある。
そしてそのことをいまさらのように思い知らされている。
その思い知らされていることの、実は幸福というものもまた存在するのだと思えないこともない。
これから先もまだずっと解決などつかず、この迷いの中で生きていくことだろうけれど、楽しみもあり、時には手応えもあり、私は私の作品と呼べるものを一つでも多く作りつづけていければと願っている。
岩瀬で窯を築いて早くも22年が過ぎました。
当初は量産品だけをバブルに乗った大量注文に合わせて作る毎日でした。
10年ほど経ったとき突然作りたいものがはっきりしました。
作りたいものは年々明確になり、いつのまにか小峰ワールドといわれるような作品世界を形作るようになりました。
今までの私の代表作といってもいい作品が一堂に会します。
主催は常陽芸文センター(水戸市三の丸1丁目5番18号)
会場は芸文センター内 芸文ギャラリー
会期は前期 10月5日から30日まで
後期 11月2日から12月3日まで
前期と後期の作品は全く違うもの出品されるのでできれば両方見ていただきたいのです。
さらに12月17日から来年2月5日まで水戸芸術館での企画展があります。
タイトルは「われらの時代」、これも是非見てください。
このコーナーは、筑西市に、在住、在勤など、筑西市に関わりのある方を繋ぐ'リレーエッセイ'です。バトンを受け取ってくださったすべての方に感謝致します。バトンを受け取った方は、以下の内容を次の走者の方にお伝えください。
(1)このエッセイは、「ちくナビ!」の企画で「ちくナビ!」に掲載されるということ。
(2)このエッセイは、筑西市に、在住、在勤など、何らかの形で、筑西市に関わりのある方の'リレーエッセイ'であること。
(3)エッセイに書く内容に、何ら制限のないこと。(宣伝なども可)
(4)写真を添えたい場合、添付ファイルで送って頂ければ、掲載可能であること。
(5)原稿料はないこと。
(6)エッセイの原稿の送り先は、飯島(info@chikunavi.info)であるということ。
(7)バトンを受け取りましたら、ご自分の原稿を書き上げることを待たず、次にバトンを受け取ってくださる方を選出し、バトンを渡して頂きたいこと。